鹿児島 松原神社公式HP

どんな神様をおまつりしているの?

主祭神:贈従三位陸奥守 島津貴久公

相殿神:天之御中主之神・高御産巣日之神・神産巣日之神

    天照皇大神・豊受大明神

 

島津貴久公は永正十一年五月五日薩州田布施村亀ケ城に生まる。幼名を虎寿丸と称す。

父 伊作第十代島津相模守忠良公、母 島津薩摩守成久の女なり。

大永六年十一月二十七日島津第十四代守護職勝久公の養子となり、同日元服 又三郎貴久と称す(のち三郎左衛門尉と改む)。貴久公 時に十三歳。

大永七年三月守護職に上る。

​時恰も足利幕府の末にして戦国争乱の世となるや吾が三州も亦諸族蜂起して頗る騒擾を極む。貴久公 父君忠良公等と共に櫛󠄁風沐雨危難を冒し叛賊を征服し遂に三州統一の偉業を全うし、政道・教育・海外貿易・産馬事業・敬神崇仏に特に留意し藩政を執り、島津家三十数代の礎を築く。

弘治三年公自ら松原山に徳宝殿を建て南林寺(本府曹洞宗福昌寺の末にして本山に劣らざる名刹なり)を創建し、元亀二年肖像を安置す。

元亀二年六月二十三日薨去さる。法名 大中良等庵主南林殿と諡す。寿五十八歳。

天正十年十六代義久公徳宝殿を以て貴久公の菩提寺と定めらる。

明治二年南林寺を廃し松原神社と改め、公の御影像を以て御神体とし御神号を靖国崇勲彦命(クニムケイサタカヒコノミコト)と称え祀りて郷社に列せらる。

明治九年一月七日社殿炎上し神像も共に焼失したり。因って更に社殿を造営し島津斉興公の奉納せる画像を御神体とし神園を設け梅樹を植ゆ。

大正九年公の三百五十年祭に当り社殿を修築、県社に列せられ従三位に追陞せられた。

昭和二十年戦災に罹り仮殿遷座。昭和五十二年二月御社殿本復興。

令和三年は公の没後四百五十年に当たる。

 

境内神社
稲荷神社(商売繁盛神)・厳島神社(航海・交通安全神)・恵方社・大山神社・清水神社
歯之神(大中公家臣平田純貞)・市場神社(鹿児島市中央卸売市場守護神)