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節分星祭り(宮司社頭講和)

お正月、節分(鹿児島では節分の時期に家族揃って厄祓を受ける「星祭り」の風習があります)の忙しさにかまけてFacebookのみの更新になっておりました。

 

ご無沙汰しております。

また、明けましておめでとうございます!(今更ですね。。。)

 

前回の記事でお伝えしていた参道整備は予定通り完了しまして、お正月にはたくさんの参拝の方をお迎えすることができました!こちらの件は次回改めてお知らせいたします

 

今回は「節分星祭り」にあたっての当社宮司の社頭講和をご紹介いたします。

少し(いや、かなりですかね(苦笑))長いですが、お付き合いください。

 

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おめでとうございます。

平成二十九年節分にあたりましての皆さまの厄祓・家内安全のご祈願滞りなく執り納め申し上げます。

 

今年の干支は、、、丁酉歳(ひのとのとりどし)ということで、お時間いただいて鶏(とり)にちなんだお話をいたします。

 

私が小学校の時分―確か2年生のときだったと思うんですが―授業で「小さい白いにわとり」という話がありまして―

 

恐らく60歳前後の方はご存知の方がおられるんじゃないかと思いますが、非常に印象深い話で―

 

筋としては、麦を蒔いて、育てて、刈りとって、粉に挽いて、パンに焼く、っていうお話なんです。

 

で、それぞれの作業ごとにいろんな動物に「誰がしますか?」って聞くんですけれども、みーんな「僕はいやだ」「私はしない」って言うんです。

 

それで仕方なく―仕方なくなのかな?―まぁ、小さい白いにわとりがひとりで種蒔きをして、水やりをして、刈りとって、パンに焼くんです。

 

そこでまた「このパン誰が食べますか?」って聞くんですけど、今度は手伝わなかった動物みんな、僕も私も「食べる!」って言うんです。

 

話はここで終わるんですが、それで「このあとどうなったでしょうか?」って子供に各々思うところを述べさせるんです。

 

当然ながら「小さい白いにわとりさんがひとりで全部したんだから、自分で全部食べていい」という子もいる。一方で「大変なことを全部してくれるような優しいにわとりさんだから、みんなに分けてあげたと思う」と考える子もいる。

 

これ正解はないんですね。

 

大人になった今になって思うと非常に考えさせるところのある、道徳的な、徳目を含んだいい話だなぁと思うんですが―

 

そこで何を申し上げたいかというと、「仕事をすることをどうお考えですか?」ということなんです。

いわゆる「労働観」ですね。。。いかがですか?

 

嫌だけれども仕方なくやっているという方、生活の糧としてお給金のためにやっていますという方、中には仕事が生きがいであって私の人生そのものだ、という方もおられるでしょう。

 

これにも答えはない。

 

人それぞれで良いんだと思いますが、じゃあ神道が―もっと言えば伝統的に日本人が―仕事をどう捉えてきたか、

 

あ、仕事というのは職業だけじゃないですよ、主婦であっても地域や組織なんかの役であっても同じです。

 

日本人にとって身体を動かして働くことは―言葉で言えば―「神業(かむわざ)」「神事(かむごと)」なんですね。

 

つまりは神代の昔に、神様たちがそれぞれ分担していた仕事、務め、これを今の私たちが引き継いで、仰せつかってしているという考えです。

 

したがって働くこと自体が神聖なこと、幸いであり喜びであるという考えがあります。

これは世界観、死生観にも繋がってくることだと思います。

 

キリスト教圏では、根本的には、労働は苦役ですね。

アダムとイヴは禁断の果実を口にするという行為で楽園を追放され、労働は原罪を背負った人間に科せられた「罰」とされます。

 

仏教においてもこの世こそが「苦」ですから現世の労働もやはり苦です。

 

宗教はすべからく教えを説くものですから、これらは教義の面、信仰の面から労働について説明をしているんだと思います。

宗旨、宗派でまちまちですが、それによって徳や善行を積むことができたりして、これが天国や浄土といった理想の世界に行く為のたづきになったりするわけです。

 

多くの宗教にはこういった理想郷がありますが、日本人にとっての最良のときは「この世」です。

気候が穏やかで、実りも豊かな国土においては―有難いことに―死後の世界や救いのある理想郷を思い描く必要がなかったんだろうと思います。

 

日本の神話(古事記・日本書紀)の中でも、黄泉の国とか妣の国(ははのくに)とか根の国、底の国というような表現はありますが、そこが具体的にどんなところかは述べられていません。意味合いとしてはせいぜい「あの世」という程のことだと思います。

 

それぞれの人がこの世で身に負った務め、これを全うすることで、暮らしが豊かになり社会の発展につながっていく。

 

こういった世界観・民族性が意識するとはなしに私たち日本人の中に根強く残っています。

 

そこで―結局そういう話か、と手前味噌な話に落ち着くんですが、

この預かった務め、これを十分に果たそうと思うとまずは心身ともに健全でないといけないですね。

 

命があるということは生きていくのに充分な生命力が備わっているということです。

ただ、いろいろなことで気力体力、こういったものに陰りが出てきます。

 

ホコリが溜まれば掃除をしますね。お風呂に入ってアカを落としますね。それと同じです。

知らず知らずのうちに身につもったツミ・ケガレ、厄難、そういったものを祓い落して本来の清々しい心身に立ち還っていただくのがこの節分厄祓の本義かと存じます。

 

ただいまお祓いお受けをいただいた上は、人智の及ばぬところ、神明の加護を得られて

本年もご家族揃って無病息災に、家内安全にお過ごしになりますよう、

それぞれの方が身に負うた本来の務めを全うされますよう祈念いたします。

 

本日はようこそお詣りいただきました。

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傍から聞いておりまして、当社の宮司にしてはまとまりのあるいい話だなあと思いました。(怒られますね)

 

節分は過ぎましたが、思い立ったが吉日です。

新たな年、新たな季節のはじまりにぜひお近くの神社に足を運ばれ、一年の鋭気を養うため厄落としを受けられてはいかがでしょうか。

 

松原神社 禰宜 拝

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